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美幌町「まちの洋食屋らぐぅ」☆煮込み料理が自慢

こんにちは、オホーツク発掘ブログ事務局です。

今回の「地元のおいしい!グルメ情報」では、美幌町で地元の食材を使用した料理を提供する 「まちの洋食屋らぐぅ」をご紹介します。

道産小麦を100%使った自家製の天然酵母パンや、シフォンケーキスコーンなども店内の棚に並び、製品のみの購入も可能です。

美幌町「まちの洋食屋らぐぅ」
まちの洋食屋らぐぅ

店名の「らぐぅ」とはフランス語で「煮込み」のこと。20時間以上かけて作る自慢のデミグラスソースは、牛タンシチュービーフシチュー煮込みハンバーグオムライスなどのメニューで味わえます。

野菜は主に美幌産のもの、また北斗ポーク(美幌産)を使ったステーキピラフなどのメニューも。フレンチトーストソフトアイスなどのデザートメニューもありますよ。

営業時間は、ランチ11時30分から15時まで、ディナー17時から20時まで(定休日:水曜日)です。

☆詳しくはこちらをご覧ください。
まちの洋食屋らぐぅFacebookページ

お店は、古民家を自分たちの手で改装した「手作り」。ぬくもりが感じられるゆったりとした空間で、心を込めて作られたおいしい料理を味わってみませんか。

★美幌町のそのほかの情報はこちら!
璃寛茶(りかんちゃ)☆美幌産米を使ったおにぎり屋
美幌・カフェ「ビオトープ」☆有機野菜中心のメニュー

※美幌町「まちの洋食屋らぐぅ」の地図はこちら!
「Google Maps(グーグルマップ)」

コメント

釣山 史:

◆上モベツ駅逓所と鴻之舞金山
ア)上藻別部落の形成
 上藻別原野の殖民地区画は明治36年であるが、この時の入殖者はなく、実際に初めて現地へ入ったのは同40年の山崎梅吉であった。続いて明治42年の原野増割では福原浅吉のほか数戸が入殖し、同44年には十数戸の土佐団体が入地して部落が成立すると、翌年に「上藻別特別教授場」が開設された。
 このうち福原は鴻之舞金山発見の端緒となった八十士砂金山の現場監督であり、栄養不足による脚気に対応して農場を開設したもので、後に一族が手広くハッカを商い、「ハッカ福原」と称されて、部落はハッカ栽培による景気に沸いた。
イ)鴻之舞金山の始まり
 かっては東洋一と云はれた鴻之舞金山は、大正3年に沖野永蔵が上モベツ6線沢で鉱床(のちの三王鉱山)を発見し、翌年には羽柴義鎌と共に元山口之沢で転石を採取したのが始まりで、翌5年に元山大露頭が発見されるに至って、同年、鴻之舞金山は飯田嘉吉を代表とする組合として操業を開始した。
 大正6年に金山が住友へ買山されて本格的に事業が展開されると同7年に製錬所の操業が始まり、同年、上藻別原野道路が開削された。私設による仮教授場の設置は同7年である。

 ※鴻之舞の命名/アイヌ語の「ク・オマ・イ=仕掛け弓がある処」の意。将来の発展を祈念して「鳥王・コウノトリが舞うが如し」と当て字した。

釣山 史さん、いつもありがとうございます。
オホーツク発掘ブログ事務局のkoroです。

上藻別はハッカの産地でもあったのですね。
ハッカや金山で賑わっていた当時にタイムスリップ
してみたくなります。
鴻之舞の当て字の由来も興味深かったです。
アイヌ語との意味は違えど、いい地名ですね。

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