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オホーツクのりんご栽培☆網走・呼人栽培地跡ほか

こんにちは、オホーツク発掘ブログ事務局のsoraです。

今回の「発掘!オホーツクの風景・景観」では、読者・釣山 史さんから投稿いただいた、オホーツク地域でのリンゴ栽培の歴史について前編、後編2回に分けてご紹介します。

『北限のリンゴ、北見地方の栽培の始まり』

私の伯母は上湧別の出身で、子どもの頃には寒くなると、よくリンゴを頂いた。今はわずかに観光農園にしか見られない北見地方のリンゴも、昭和40年代前半までは道内を代表する一大産地であった。

◆北見地方のリンゴ栽培

北見地方の果樹栽培は最寄の猪股周作が明治15年に杏・桃・梨の苗を取り寄せたのに始まって、同20年代には盛んにリンゴが奨励されたが、当初の中心はもっぱら網走であり、同43年をピークにブームを迎え、同44年の病害虫の大発生で一時的に減少しながらも、その後の防除等の栽培技術の進歩から次第に北海道を代表する一大産地へと発展して行った。

網走外三郡農会では、大正9年から網走・野付牛・相内・遠軽・上湧別の5ヶ所に集中指導地を設け、また、昭和8年には、北海道庁が果樹栽培の奨励地帯を定めて実地指導地を設定、網走管内では上湧別の平野毅が請け負った。

≪呼人リンゴ≫

網走の初期のリンゴ栽培は、台町から潮見にかけてと川向から向陽ケ丘にかけてであったが、後に呼人が盛んとなって現在でも天都山の周辺でリンゴ樹が見られる。


天都山の青リンゴ
天都山の青リンゴ(2009年8月撮影)


呼人リンゴの発祥は、明治末年頃には田中牧場の辺りにリンゴ樹が20本位あり、その後に植栽する者も現われて、大正4年には坂野竹次郎が入って計画的に苗木を植え、同6年には早くに植栽していた五十嵐政次郎と外数名が共同して購入し、同9年には4町5反の呼人リンゴ園が完成した。

大正13年には網走果樹栽培実行組合が結成されが、呼人には支部が設けられ、昭和5年には坂野果樹園が網走外三郡農会の果樹指導所に指定されて、この地方の果樹農家の中心としての呼人リンゴが確立した。


呼人りんご栽培地跡
呼人りんご栽培地跡

かつてのオホーツク地域では、ちょうど今頃、あちらこちらで秋の収獲に向けてりんごの木がたわわに実をつけていたのですね。呼人りんご栽培地跡は、網走歴史散歩のスポットにもなっています。秋空の下、いくつかのスポットとともに巡ってみるものいいかもしれません。

網走歴史散歩:網走探訪


オホーツクのリンゴ栽培の歴史、後編(湧別リンゴ)は日を改めてご紹介します。お楽しみに。


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